制作事例 Highway Fee 第2回:あえて干渉を残す――スネアとボーカルで存在感を作る「マスキングの逆用」
前回は、キックとベースの処理を通して、フェーダーを上げるだけではなく、不要な干渉を取り除くことで必要な音を前に出す「引き算」のミキシングについて解説しました。
今回からは、ロックセクションのセンターを構成するスネアとボーカルの処理に進みます。
ここで重要になるのが「マスキング」です。
複数の音が同じ周波数帯域に重なると、それぞれの音が聞き取りにくくなることがあります。ミキシングでは、このマスキングをEQなどで整理するのが一般的です。
しかし、すべてのマスキングを取り除けば良いとは限りません。
今回の「Highway Fee」では、スネアの200Hz付近の干渉はカットした一方で、ボーカルの低域については、あえて他の楽器との重なりを残しています。
なぜ同じ「被り」に対して、正反対の判断をしたのか。
第2回では、スネアとボーカルの実際の処理を通して、「マスキングを削る判断」と「マスキングを残す判断」の違いを見ていきます。
スネア――位相ズレと200Hz付近の干渉を整理する
使用プラグイン:InPhase、LA-2Aタイプコンプレッサー
何が起きていたか
スネアには、トップマイクとボトムマイク、さらにレイヤー素材の間で位相のズレがありました。
スネアのように複数のマイクや音源を組み合わせる場合、それぞれの波形の関係によって、音が太く聞こえたり、逆に特定の帯域が弱くなったりします。
今回のスネアでは、こうした位相のズレに加えて、胴鳴りやリム音が持つ200Hz付近の成分が、他のパートと干渉していました。
つまり、単純にスネアの音量を上げれば解決する状態ではありませんでした。
まず位相を整える
位相のズレについては、InPhaseなどを使用して補正しました。
前回のキックと同様に、18Hz以下の不要な成分もカットしています。
ここで重要なのは、EQで音色を作り込む前に、複数の音源を組み合わせたときの基本的な関係を整えておくことです。
位相の問題を残したままEQやコンプレッションを進めると、その後の処理で問題を補おうとしてしまう可能性があります。
200Hz付近の干渉をカットする
続いて、不要なノイズを約-12dBカットし、干渉の原因となっていた200Hz付近をEQで整理しました。
ここでは、スネア自身の存在感を失わせることよりも、他のパートとの干渉を減らすことを優先しています。
前回のキックとベースでも行ったように、目的は「スネアを大きくすること」ではなく、「スネアが必要な場所に収まる空間を作ること」です。
コンプレッサーはリズム感を崩さない方向へ
コンプレッサーにはLA-2Aタイプを使用しています。
今回のスネアでは、デジタル系のコンプレッサーで強くトランジェントを制御するよりも、比較的滑らかにかかるタイプを選択しました。
その目的のひとつが、スナッピーの音を強調することです。
スナッピーとは、スネアドラムの裏側に取り付けられた金属製の響線で、スネア特有の「ジャッ」という音を作る部分です。
低域側の不要な干渉を整理しながら、このスナッピーの成分を活かすことで、スネアそのものの存在感を確保しています。
結果
位相のズレと200Hz付近の干渉を整理することで、他のパートとのぶつかりを抑えながら、スネアの存在感を確保しました。
同時に、キックの太さを損なわず、ロックセクションのリズム隊として必要な低域の厚みも維持しています。
ボーカル――存在感を作りながら、あえてマスキングを残す
使用プラグイン:SSL/Neve系コンプレッサー、V-Comp、Vocal Rider、DeEsser
何が起きていたか
ボーカルには、19Hz以下の不要な成分と、16kHz以上の過剰な成分がありました。
一方で、ボーカルの基音に関係する200Hz付近は不足しており、ベースやスネアなどの楽器に埋もれやすい状態でした。
さらにロックセクションでは、歌唱による音量のばらつきもありました。
そのため、単純にEQでボーカルを明るくしたり、フェーダーを上げたりするだけではなく、不要な成分を整理しながら、ボーカルそのものの密度と安定感を作る必要がありました。
不要な低域・高域を整理する
まず19Hz以下と16kHz以上をカットしました。
これはボーカルの存在感を作るために必要な帯域を削るのではなく、ミックスにとって不要な超低域・超高域の成分を整理する処理です。
そのうえで、ボーカルのダイナミクスを整えていきます。
深めのコンプレッションで音量感を安定させる
ロックセクションでは、一定の音量感を保つことを重視しました。
そのため、ゲインリダクションはおよそ-12~-20dB、レシオ6:1という、かなり深めのコンプレッションを行っています。
SSL/Neve系のコンプレッションやV-Comp、Vocal Rider、DeEsserを組み合わせ、それぞれの処理を使い分けながらボーカルの安定感を作っています。
ここで重要なのは、コンプレッサーを単に「音圧を上げるためのもの」として使用しているわけではないことです。
今回の目的は、ロックセクションの中でボーカルが一定の距離感と存在感を保ち続けることでした。
200Hz付近を、あえて削らない
今回のボーカル処理で特に特徴的なのが、ローカットの設定です。
200Hz付近は、ベースやスネアなどと競合しやすい帯域です。
一般的なミキシングの考え方だけを適用すれば、この帯域をさらに削ってボーカルと楽器を分離する方法も考えられます。
しかし今回は、あえてそこまで削っていません。
ローカットは124Hzに設定し、ボーカルの200Hz付近の成分を残しています。
これは、ボーカルの基音の太さを維持するためです。
スネアでは200Hz付近の干渉を直接カットしました。
一方、ボーカルでは同じように200Hz付近を削ってしまうと、ボーカルそのものが痩せてしまうと判断しました。
つまり、同じ「マスキング」という問題に対して、スネアとボーカルで異なる処理を選択しています。
結果
ボーカルの低域の厚みを維持したまま、深めのコンプレッションによって安定した音量感を確保しました。
その結果、オケとの周波数的な重なりを完全には取り除かなくても、ロックセクションの中でボーカルを前面に感じられる状態を作ることができました。
マスキングは「削るべきもの」とは限らない
今回のスネアとボーカルの処理で重要なのは、同じ200Hz付近の干渉に対して、まったく異なる判断をしていることです。
スネアでは、200Hz付近が他のパートとの干渉を生んでいたため、EQで直接カットしました。
一方、ボーカルでは200Hz付近を残しています。
なぜなら、ここを削りすぎることで、ボーカルの基音まで痩せてしまう可能性があるからです。
つまり、マスキングは一律に「悪いもの」と考える必要はありません。
重要なのは、その重なりによって何が失われているのか、そして、その帯域を削ることで何を失う可能性があるのかを判断することです。
今回の処理を整理すると、次のようになります。
- スネア:200Hz付近の干渉をカットする
- ボーカル:200Hz付近の厚みを維持するため、干渉を許容する
- スネア:他のパートとの分離を優先する
- ボーカル:基音の厚みと存在感を優先する
これは「マスキングを残すべき」というルールではありません。
あくまで、そのトラックで何を優先するかによって、残すか削るかを判断した結果です。
ミキシングでは、教科書的なセオリーをそのまま適用するだけでは、必ずしも良い結果になるとは限りません。
「この帯域は邪魔だから削る」のではなく、「この帯域を削ったとき、音楽的に何が失われるのか」まで考える。
その判断の積み重ねによって、最終的な音の存在感が作られていきます。
今回のミックスから分かること
今回のスネアとボーカルの処理には、前回から続く「引き算」の考え方と、それだけでは説明できない判断の両方が含まれています。
スネアでは、位相のズレと200Hz付近の干渉を整理することで、必要な音を残しました。
ボーカルでは、他の楽器との干渉を完全に取り除くのではなく、124Hzまでローカットすることで200Hz付近の厚みを残しました。
この違いから分かるのは、ミキシングにおけるEQ処理は「不要な帯域を削る作業」だけではないということです。
削ることで音楽的なメリットが得られるのか。
それとも、削らないことで、その楽器やボーカルが持つ本来の存在感を維持できるのか。
その判断をトラックごとに行うことが重要です。
今回の「Highway Fee」では、スネアでは分離を、ボーカルでは厚みを優先しました。
結果として、ロックセクションのセンターに必要なスネアとボーカルの存在感を両立させています。
次回へ
第2回では、スネアとボーカルを中心に、ロックセクションのセンターを整理しました。
特に重要だったのは、マスキングを単純に「取り除くべき問題」として扱わず、トラックごとに残すか削るかを判断したことです。
次回は、曲がEDMドロップへ切り替わる場面を取り上げます。
ここでは、ロックセクションで主役だったボーカルから、シンセへと主役が交代します。
さらに、聴覚特性を利用したオートメーションによって、単純に音量を下げるだけではない「主役の入れ替え」をどのように作るのかを解説します。
こうした工程を一つずつ積み重ねながら、「Highway Fee」のミックスは完成形へと近づいていきます。
