【制作事例】かぷりしゃす『火垂』ミックス解説 第2回:Synthesizer V「花隈千冬」とアコースティックピアノの空間・音色デザイン
かぷりしゃすさんの『火垂』(ひだれ)のミックス解説、第2回です。ミキシングとマスタリングはIkumi Magataが担当しました。
第1回では、-18dBFS基準のゲインステージングとボトムアップの構築順序で、ミックスの土台を作りました。今回はいよいよ、楽曲の主役であるSynthesizer V「花隈千冬」のボーカルと、アップライトピアノの音作りに入ります。
キーワードは「人間味」と「実在感」です。かぷりしゃすさんの感覚的なイメージを、どんな技術に置き換えたのかを順に見ていきましょう。
Synthesizer V「花隈千冬」のボーカル処理
合成音声ボーカルは、人間の歌声とは違う独特のクセを持っています。そのクセを一つずつ見極めて処理することが、自然で温かい歌声への近道です。
発音切替ノイズ:7000HzをダイナミックEQでピンポイントカット
花隈千冬の歌声を細かく聴いていくと、「チ」や「イ」などの子音が切り替わる瞬間に、「ピッ」という短いノイズが出ている箇所がありました。
最初に思い浮かぶのはディエッサーですが、このノイズは歯擦音(サ行の「シー」という音)より低い帯域にあり、ディエッサーでは反応しにくいのが難点です。
そこで使ったのがダイナミックEQです。
- 周波数:7000Hz付近
- Q:狭め(ノイズの帯域だけを狙う)
- 動作:スレッショルドを超えた瞬間だけカット
ダイナミックEQは、設定した帯域が一定の音量を超えたときだけ働くEQです。常時カットする通常のEQと違い、ノイズが出た瞬間だけ削るので、声の明るさや抜けを損ないません。
実践Tips:ノイズの帯域を探すときは、第1回で紹介した「ブーストしてスイープする」方法が有効です。7000Hz前後を狭いQで持ち上げると、「ピッ」の位置がはっきり聴き取れます。
急激なダイナミクスを平坦化する
ボイスバンクには、それぞれ得意な音域があります。花隈千冬の場合も、特定の音域に入ると声に張りが出て、音量が急に跳ね上がる傾向がありました。
この跳ね上がりはコンプレッサーで均します。アタックは速めにして、突出したピークだけを捉えます。ゲインリダクションは-3dB程度を目安に、潰しすぎないように調整します。
音量が安定することで、歌詞がどの音域でも同じように聴き取りやすくなり、ピアノとのバランスも取りやすくなります。
「転校生」風の色付け:5kHz以上をダイナミックEQで持ち上げる
かぷりしゃすさんがボーカルのリファレンスに挙げたのは転校生でした。求められたのは、息交じりで、頭蓋骨や鼻骨に響くようなニュアンスです。
この「息交じり」と「骨に響く」感覚は、高域の成分に多く含まれています。そこで5kHz以上の帯域をダイナミックEQで持ち上げました。
ここでダイナミックEQを使うのには理由があります。通常のEQで高域を一律にブーストすると、子音や歯擦音まで強調され、耳に痛い声になってしまいます。ダイナミックEQなら、声の音量に応じてブースト量が変わるため、息の成分だけを自然に引き出せます。
アップライトピアノのサウンドメイク(haruka nakamura風)
ピアノのリファレンスは、haruka nakamura(映画『ルックバック』の劇伴など)です。かぷりしゃすさんが求めたのは、あのノスタルジックで、少しくぐもったような温かい質感でした。
質感の補強:アナログコンプ×真空管アンプシミュレーター
使用したのはアップライトピアノの音源です。グランドピアノより素朴で親密な響きを持っていますが、打ち込みのままでは音がきれいすぎて、懐かしさが足りません。
そこで次の2つを組み合わせました。
- アナログタイプのコンプレッサー:打鍵ごとの音量差をゆるやかにまとめ、音に粘りを出す
- 真空管アンプシミュレーター:偶数次倍音を中心とした柔らかい歪みを加え、角を丸める
この組み合わせによって、デジタル音源の「硬さ」が取れ、古いレコードのような温度感が生まれます。
実在感の付与(最重要):Sound City Studiosのルームマイク
今回のピアノ処理で最も重要なのがこの工程です。
打ち込みのピアノは、どれだけ音色を整えても「どこで鳴っているのか分からない」乾いた音になりがちです。この問題を解決するために、Sound City Studiosのルームマイクを再現したプラグインで部屋鳴りを加えました。
リバーブが「残響」を足すのに対して、ルームマイクは「その部屋の空気ごと録る」イメージです。
- ピアノの打鍵が部屋の壁に反射する、ごく短い初期反射
- 部屋の大きさや材質から生まれる、独特の響きの色
これらが加わることで、「その部屋で、誰かが実際に弾いている」という実在感が生まれます。haruka nakamuraの作品に感じられる親密さの正体も、まさにこの空気感にあります。
実践Tips:ルームマイクはドライ音に対して「うっすら」混ぜるのがコツです。単体でソロにするとかなり響いて聴こえるくらいの量でも、全体の中では自然に馴染みます。
隠し味:オートメーションで挿入するリバースリバーブ
最後の隠し味が、リバースリバーブ(逆再生残響)です。
リバースリバーブとは、残響を逆再生し、音が鳴る直前に「スーッ」と吸い込まれるように盛り上がる効果のことです。これを常時かけるのではなく、オートメーションを使って要所にだけ挿入しました。
フレーズの頭や展開の変わり目でさりげなく使うと、ピアノがふっと浮かび上がるような、夢と記憶の境目のようなノスタルジーを演出できます。
まとめ:「感覚」を「技術」に翻訳する
第2回では、ボーカルとピアノの音作りを解説しました。
- 7000HzのダイナミックEQで、Synthesizer V特有の発音切替ノイズを除去
- コンプレッサーで、得意音域での音量の跳ね上がりを平坦化
- 5kHz以上のダイナミックEQで、転校生のような息交じりの質感を演出
- アナログコンプ+真空管アンプシミュレーターで、ピアノに温度感を付加
- Sound City Studiosのルームマイクで、「その部屋で弾いている」実在感を創出
- リバースリバーブをオートメーションで要所に挿入
「息交じりで骨に響く声」「ノスタルジックなピアノ」。こうした感覚的な言葉も、周波数やダイナミクス、空間という要素に分解すれば、具体的な処理として形にできます。それがエンジニアの役割の一つです。
次回の最終回では、楽曲の展開に合わせた動的なリバーブ設計と、笹川真生『不細工』に着想を得た後半の歪み演出、そしてAmpexのテープエミュレーターによるマスタリングまでを解説します。
連載「かぷりしゃす『火垂』ミックス解説」
- 第1回:デジタルで描くアナログの温かみ — 基礎設計とボトムアップ・ミックス法
- 第2回:Synthesizer V「花隈千冬」とアコースティックピアノの空間・音色デザイン(この記事)
- 第3回:空間を広げるリバーブ演出と最終マスタリング(10月11日公開予定)
この楽曲のミックス・マスタリングはAkashic Music Productionが担当しました。ご依頼についてはミックス・マスタリング依頼ページをご覧ください。

